国産輸送機
YS-11への貢献

日本におけるロールス・ロイス60年の歴史で、民間航空宇宙分野における節目となった、YS-11についてご紹介します。

戦後初のターボプロップエンジン方式国産輸送機

戦後初のターボプロップエンジン方式国産輸送機

YS-11は、戦後初めて日本で開発・製造されたターボプロップエンジン方式の輸送機です。

日本には短中距離輸送機が必要であると判断した通商産業省(当時)が主導し、1950年代後半、三菱重工業株式会社や川崎重工業株式会社などの民間企業が参画して、官民合同の日本航空機製造株式会社が設立されました。1962年には、最初の試作機が完成し初飛行試験の準備が整いました。

YS-11に最適だったダート・エンジン

YS-11に最適だったダート・エンジン

YS-11開発では、座席数60席、離着陸時の滑走距離1,200メートル、航続距離600海里(約1,100キロメートル)という具体的要件が定められていました。しかし、当時、これらの要件を満たす航空エンジンはほとんど存在していませんでした。

英国では、ロールス・ロイスが開発したダート・エンジンがすでに運用されていました。フォッカーF27フレンドシップ・ターボプロップ旅客機の動力としての信頼性を得ていましたが、YS-11が必要とする出力には達していませんでした。

そのためロールス・ロイスは、YS-11の仕様に合わせてダート7の水メタノール噴射スケジュールを変更し、離陸時の推力をさらに高める強力なソリューションを備えたダート10を提供しました。

「ダートなくしてYS-11の成功はなかった」

「ダートなくしてYS-11の成功はなかった」

YS-11が初飛行試験を終了した後の1963年、山之内憲夫氏はエンジニアとして日本航空機製造株式会社に入社しました。当時の試験施設や設備は、現在のように優れたものではなかったため、テストパイロットの所見を正確に反映することはできませんでした。

業を煮やした山之内氏は、自らテストパイロットになることを決意し 、エンジニアとして、またテストパイロットとして、何度もロールス・ロイスのエンジニアと議論を重ねました。

山之内氏は「ダートなくしてYS-11の成功はありませんでした。エンジンに関する問題はほとんどなく、開発期間を通じてロールス・ロイスからは非常に多くの事を学び、また協力いただきました。日本側の要求に応えてくれたロールス・ロイスの努力と柔軟性に感謝しています。」と当時を振り返っています。

世界的な成功

世界的な成功

YS-11は、当初、全日本空輸株式会社や日本国内航空株式会社のような国内航空会社による運用、自衛隊が行う防衛任務など、日本向けの旅客・輸送業務支援を想定して開発されました。

しかし、YS-11はアジア、アメリカ、南米、アフリカなど、幅広く世界中の民間航空会社に運用されることとなりました。